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青空の下に、クッキリと男山と女山の姿が紫に美しく見える筑波山だった。昨日の猛吹雪は、もう何処にも見あたらず、晴天の下に雪も殆ど残っていない明るい陽射しの日になった。
小野川公民館の2階和室の窓から、そんな筑波山が鮮やかに望めた。
新年会と言うことで、子供達の可愛い様子もチラホラと走り回っている。
”うぃず”の親たちも机の片方に並び、交流会の雰囲気となった。前回の交流会では、「先輩の話が聞けてとても良かった」との口車に乗り、”うぃず”の方々も話し上手(好き)?なので、大挙して集まってきた。
”うぃず”の自己紹介の後”すばる”の方々の自己紹介が進んでゆく。
小さい子を持つ親たちの不安や心配は後を絶たない。子育て経験を持つ親たちにとっては、懐かしいようなところさえ有るのだが、そこで間違えたことも無きにしも非ず。黙っては居られない。
肝心なことは、子供の欠点を論(あげつら)う事でも、直すことでもなくて、そこは「見ない」・「大目に見て貰う」ことで、敢えて子供を攻めないことである。そして出来ること特徴的な良い面を伸ばして褒めて上げること。
学校教育も社会も丸い人間を作ろうとして個性を潰しLD児を2次障害へ進めてしまう。丸い人間を目指しては駄目!星の子の☆は凸凹である。それを認めてくれる世の中を目指さなければならない。
そんな会話で新年会は盛り上がっていた。
最近何処かで、そんな話を聞いた。ある障害者を雇用している会社の人。「養護学校で推薦してくる優秀な子が来るが、箸の持ち方も出来ていない。内股で歩く子は問題がある。そんな事ぐらい家庭でも学校でも直せる。かえって重度の子の方が、ちゃんと仕事をする。何か可笑しい?」
箸の持ち方、歩き方なんて直せていれば普通の子であり、養護学校には行っていないはずなんだけど?でも、重度の子の方が、ちゃんと仕事も出来て年金も多く貰えて、給与も貰える。知的の軽い子は、問題ばかり論(あげつら)われて、育て方とか教育が間違っているかのように言われ、年金も少なくて、職場も定着が難しい「何か可笑しい??」
人の考え方、社会のあり方、これを替えないとLD者も救われない。
21世紀の幕開けにふさわしい「新年会」だったような気がする。
吉田(和)
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